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幕末の乙女心(室長)
 先日ある人にある小説を紹介した。前回のエントリで、どんな状況でも必ずある乙女心について触れたので、こちらでもその小説を紹介してみやうと思ふ。野呂邦暢『諫早菖蒲日記』だ。文芸春秋より出版されてゐたが現在は絶版。

 野呂邦暢は芥川賞を受賞し、作品が映像化され、さあこれから、と云ふところで亡くなつてしまつた。享年42歳。惜しい作家です。最近、人気作家の桜庭一樹が『愛についてのデッサン』を紹介したことで若い読者たちに再評価されてゐる。文芸系古書マニアは必読の小説。古書好きでなくても、落ち着いた文章の佇まいに一読、ファンになる方も多からう。名作です。なおこの作家、創作についてはずいぶん模索を重ねたやうで、ミステリも書いてゐる。本格です。興味のある方は調べてください。

 ジャンルの模索を続けた野呂が書いた時代小説が『諫早菖蒲日記』で、こちらは著者ゆかりの諫早を舞台に、幕末の諫早藩砲術指南役を父に持つ少女、志津の一人称で書かれてゐる。冒頭、諫早湾に帆をあげる船の描写が鮮やかだ。
 

 まっさきに現われたのは黄色である。
 黄色の次に柿色が、その次に茶色が一定のへだたりをおいて続く。
 堤防の上に5つの点がならんだ。
 堤防は田圃のあぜにいる私の目と同じ高さである。点は羽をひろげた蝶のかたちに似ている。


 気丈でお転婆でさへある志津だが、新しく拵へてもらふ筈の絣の着物が、藩の財政事情の煽りから自粛せざるを得なくなつたときの落胆と、裏腹な健気さとはまさに乙女の鑑。何度でも読み返してしまひます。

 なおこの作品、最後までよむとあつと驚かされる。ともあれ、乙女心をもつた方なら、女性も男性も宇宙人も、是非お読みください。

 ところでネットを探つてゐると、野呂のエッセイの文章が引用されてゐた。孫引き。

小説という厄介なしろものはその土地に数年間、根をおろして、土地の精霊のごときものと合体し、その加護によって生み出されるものと私は考えているhttp://machi.monokatari.jp/a2/item_1848.html
(伊藤裕幸「長崎もの語り散歩」より)


 土地の精霊の加護! ジャンルの模索を続けた野呂のこと、あの文章力で中上健次や大江健三郎を向かうにはつたマジック・リアリズム小説を書いてゐたなら……! 返す返すも長生きを、せめて人並みにでも生きてもらひたかつた作家です。
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