アラビクは大阪市北区中崎町にあるブック&ギャラリーカフェです。
http://www.arabiq.net/



(室長)乙女の力
 写真は土曜に行つた弥生美術館で買い求めたポスター。蕗谷虹児展開催中につき、中原の業績は「蕗谷虹児と同世代の作家」としてわずかに紹介されてゐるに過ぎませんが、虹児に宛てた淳一自筆の手紙が展示されてをりました。「ひまわり」誌の展示を前に、息子・娘とおぼしきお連れの方々に夢みるやうに同誌の思い出を語る婦人がをられました。

 さて、以前ひめゆりの塔に行つたことがある。このはなしは別のところでも書いたことがあるのですが、再度書きます。ひめゆり学徒たちがガマの中に残したものが展示されてゐるのですが、その中に淳一の少女画が描かれたカードがあるのです。やや過剰に荘重さを演出せんとする記念館には圧倒されるばかりだつたのですが、この淳一のカードをみたときは深く深く感動しました。暗い洞窟の中、おそらくその絵を見ることはかなわなかつたでせうが、そのカードを携へてゐると云ふことがどれだけ彼女を慰め、励ましたでせう。
 そして数年後、室長が広島に住んでゐたころ、原爆乙女の方と話をする機会が与へられました。繰り返し語られたであらう爆風や轟音、その後の避難生活などはもはや彼女にとつて物語と化してをり、生々しさが失われてゐるやうに思われました。話が終わり、何かご質問は? と促されたわたしは無礼にもそれまでの話と異なる「さういえばひめゆり記念館で中原淳一をみました。何か心の慰めになつたものはありますか?」と伺ってみたのです。
 その瞬間、老婦人の顔がかがやき、「まあ、まあ、中原淳一さん、本当に素敵だった!」と応えてくだすつたのです。それまでの「物語」を語る姿と異なり、活き活きとした様子で、復興後、洋服を手に入れるに苦労された話や、美味しいものを食べたお店の話などを聞かせてくれたのです。
 戦中戦後、「それいゆ」がどれだけの少女たちの心を励ましたことでせう。戦後日本を支えた中原淳一、どれだけ尊敬しても足りません。
(室長)淳一にも夢中
 大正イマジュリイつながりで。ここのところ中原淳一の業績について勉強中。淳一入門、と云ふことで評伝林えり子『焼跡のひまわり 中原淳一』新潮社,1984.を読んでゐます。幼少の頃の住環境などから丁寧に取材されてゐるのですが、推断が多く、読みにくいことこのうえない。ほとんどの記述が「おそらく……淳一は考えたであろう」だとか「この女宣教師の××が淳一に影響を与えたと思われる」などと結ばれてをり、もう少し書きやうが無かつたのか? と思つてしまう。淳一の死の直前に取材がはじまり、関係者の生な証言を多く採つているので仕方ないのかもしれませんが。その分、内容は面白いです。中村正常(中村メイ子の父)・藤田嗣治・中原淳一が三大おかつぱとして括られてゐた、などと云ふ余談も可笑しい。ちなみに一に大鵬、二に長嶋、三に三島の由起夫さんです、と云へば三大胸毛の……あいすいません。
 また、「ひまわり」と云ふロマンチシズムとは相容れぬイメージの花が何ゆえに象徴とされたのか、と云ふ分析は納得させられました。室長、わが身の不勉強を恥じいるばかり。
 その他の業績も各種ムック等で研究中。淳一えがく影絵には廃墟をモチーフにしたものなども散見されます。鮮明な色彩を封印したときに立ち上がるのは、大正イマジュリイの正当な後継者である淳一の姿。林の著作に中原を揶揄する雑誌記者の悪意に満ちた記事が引用されてをり、「中原は画家とは云えない。(挿絵でない絵に)夢二のような深みもない」(大意)などと書かれてゐるのですが、莫迦め、今でもその記者が生きていたなら、たとえ相手が老人であつても「阿呆! 惚け! 茄子! カス!」と罵倒するでせう。およそ何かを評する際に「深みが無い」などと言い放つのは、的確な評言を持たぬその者自身の脳味噌に深みが無いのです。あほんだら。
(室長)かいちに夢中
 未だ固定読者が想定できぬこのブログですが、小林かいちで検索される方が多いやうです。その次に多いのが成海璃子。
 かいちについてまとまつた記述がある書籍は『小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ 』「版画藝術」誌につきます。これらの書籍によりご家庭に眠つてゐたかいちが発掘されるとまた状況も変わるのでせうが。
 そういへば先日、梅田の阪急古書のまちに行つてみたらば、美術書専門店「りーちあーと」にてかいちの絵封筒がディスプレイされてをりました。版画の淡い色あひが美しい。中には前掲書に未掲載の同志社クローバーマークがあしらわれたものも。

小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ
小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ
小林 かいち,山田 俊幸,永山 多貴子


版画芸術 135 (135)
版画芸術 135 (135)

(室長)シモンと云へば
 初代法王であるシモン・ペトロ、あるいは安全靴メーカー、と云ふのが人口に膾炙してゐるのだらう。まだ固定読者を想定できないこのブログだけれど、シモンと云へば四谷シモン、といふ人が読んでくれてゐたら喜ばしい。シモン氏の人形は何度か現物を目にし、また先だつての澁澤龍彦幻想美術館展でも天使像を見て胸打たれた(これは本当に見る価値があります。なんといふ神々しさ! 今の時代を代表する造形として1000年先にも残る作品だらう)。
 我が家、わが店にシモンさん作のお人形をお迎へするにはだうしたらいいのか、と検索してみたらば。

 最低でも一体500万円ださうです。知己がシモンさんの知り合い、といふことで購入の手蔓あり! と思つた室長が莫迦でした。
 500万円で一番欲しいものは自分の店なんですが、次はシモンさんのお人形、です。

 壮大かつ妄想じみた話は措く。今日は別のシモンのはなし。思茅あるいは思芽と書く。珈琲豆のことです。
 中国産といへば近頃批判喧しいが、これは無農薬、ださうです。“ださうです”といふのがなんとも歯切れの悪いところですが、自分の目で見たわけではないので仕方が無い。ともあれ、味である。浅炒りのなんともいえないまろやかささわやかさ。是非扱ひたい豆です。

 最近は温暖化の影響か、珈琲豆の産地(所謂コーヒーベルト)が広がつてゐるとか。さういえば、と思い調べてみたところ、中華民国でも過去に世界の珈琲品評会で次席となり、昭和天皇に献上された豆があるとか。考へてみれば台湾の緯度は南北の違いこそあれ、ブラジルと変はらない。山もある。国民も勤勉とくればこれで美味い豆が取れぬわけがない。
 また夢が膨らむ。台湾島からは、珈琲豆だけでなく陶胎漆器やミステリブーム(7月には愈々『獻給虚無的供物』が出版されるとか! さう、『虚無への供物』!)といつた心惹かれるものの情報が絶え間なく入つてくる。当地には矢張り近い内に行かねばなるまい。なにより旧知の友もゐるのだ。うむ、妙に現実的な話に落ち着いたな。
 
虚無への供物
虚無への供物
中井 英夫
(室長)晴耕雨読
 5年前、福岡市の海辺のレジャー施設でマネジャーをしてゐた。マネジャー、といふのは南ちやんみたいなものではなくて、番頭はんのことです。
 その頃は7月がずつと曇りで、前年比の月間売上が大変厳しかつた。頭を痛めた。そういつたことで、毎年夏の気候に敏感なのです。少なくとも5年前から季節がひと月分、遅い。やはり今年も今のところまとまつた雨が降らない。晴耕雨読、とはいかない。
 土日は鏑木清方を起点に、中原淳一までの大正〜昭和初期のイマジュリィについての本を眺めたり。それと中之島の大阪市立東洋陶磁美術館に行つたりして過ごしました。陽射しがきびしい。
 東洋陶磁美術館がらみでウェブを眺めてゐたら、WIKIPEDIAで安宅産業破綻事件がまとめられてゐた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A0%B4%E7%B6%BB
 帰宅し、朝日新聞を読むと現代の陶工たちがチャレンジしてゐる曜変天目が紹介されてゐた。記事リンクは画像なし。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706170036.html
 野に咲く蒲公英も美しいが、温室で丹精こめた薔薇もやはり美しい。芸術はパトロンが必須のジャンルでもあるのだ。

 本屋のことに絡めて書く。今月の「小説すばる」の書店特集で米沢穂信が寄稿してゐた「本好きの本への愛情を買い叩く」ようなしくみは限界にきてゐると思ふ。カタカナクリエイターなどの「憧れ」の職業は志望者が多いから若者を使い捨てにしてやつていく。さて、本屋は憧れられる存在か? そして最近増えてゐるといふ古本屋志望者は古本屋にあこがれてゐるのか? これ以上は書かずに措こう。アイラブ小説。
(室長)新刊書店と古書店と新古書店と福岡県と
 避暑地と呼ばれるやうなところに住んでゐるので新刊を目にしない。たまに池袋や八重洲の大型書店に行くと興味を惹かれる新刊で溢れてゐる。それを全てを買つてしまふほどの資力は無いが。開店準備に使ふお金と趣味の読書に使うお金とは別だ。
 新刊書店が好きで、古書店も好きだ。たまさか知遇に恵まれ、作家の方々と同席させていただくことがある。飛躍して順接するが、だからアラビクでは新刊も扱ふ予定だ。取次(本屋の問屋のことです)の目星もある。

 以下、立場を弁へずに書く。
 新古書店と呼ばれる店がある。たとえば「ブ」と通称される店だ。自由ヶ丘の西村文生堂の近くに出来てゐた。驚いた。新刊書店と変はらない雰囲気で、置かれてゐる本も新刊書店で買へるものばかりだ。2階にはカフェまであつた。
 ここまで新刊ばかり置いてゐると、(文生堂のやうな)専門性を持つた古書店にとつてはあまり脅威ではないのではないか、といふ気もしてくる……と書くのは、いち文生堂ファンとして楽観的すぎますよね。しかし「ブ」をより深刻な脅威とするのは街の古書店、新刊書店、出版社、作家たちだらう。
 近所に新古書店ができた新刊書店の万引き被害が増えたと仄聞する。直接聞いたわけではないが、「まあさういふこともあるだらう」とは思ふ。直接的な売上のライバル、といふ点のみならず、さういふ害を被る。パラサイトが宿主の生命を脅かしつつある。このパラサイトたちは宿主の生命が途絶へるとおそらく、そこで超え太つた体を利用して別の宿主を探すのだらう。別に本(屋)を宿主とせずともいいのだ。
 アマゾンのユーズドストアや新古書店を無視できないのか、多くの大型書店が新古市場に参入してゐる。新刊書店の生き残りに必要とあらば、それもいいだらう。結果的にパラサイトを駆逐できるならば。

 おそらく新古書店の害を最も深刻に被つているのは作家だ。
 作家の単行本の印税は一般的に10%程度と言はれてゐる。雑誌連載が単行本化されたものの場合は連載時に原稿料が発生する。一枚あたり数千円程度だ。現在の初版数は数千部程度。毎年コンスタントに2冊分の分量を執筆できる作家でも、(その作家たちと同等の学歴の)平均的な同世代のサラリーマンの年収の半分も得られないのではないか。
 新古書店の影響が初版の売上をどれだけ損なつてゐるのか、明確な統計はない。しかし影響がない、はずはないだらう。
 
 さて、転売目的の万引き防止策として、福岡県が意欲的な条例を定めた。本にシールを貼ることにしてゐるらしい。実体験のレポートは差し障りがあるといけないので「福岡 シール 本屋」などで検索してください。
 東野圭吾がエッセイで似た趣旨の提案をしてゐたのですが、この制度、ネットを見る限りではおおむね不評のやうです。愛書家、と胸をはるほどの身ではないけれど、本を愛する者として、わたしはこの制度に賛成します。いずれシールが蔵書票のやうな文化に育てばいい、と本気で思ひもします。デザインを損なう、といふなら、バーコードのほうがよほど無粋だ。そう、このシールもバーコードに貼ればいいではないか。あるいは書籍本体に予めシールの貼付欄を設ければいい。昔の本はみな、検印があったのだし。
 ただ、恐ろしいことが想像される。「シールを貼つてゐない本を新古書店・古書店は扱つてはいけない」というルールが適用されたら……「ブ」は殆どの書籍を廃棄するのではないか、といふことである。
予定は大事
 今日も今日とて古書即売会。いや、9日のことですが。
 西部古書会館から出てどうしやうかと迷ひながら、都丸書店を眺め、高円寺パル。その名も麗しき「アニマル洋子」は休みでした。古本兼業の洋品店で有名なお店です。

 その後所沢の彩の国古本祭に。いくつか珍しい本があつた。池袋にでてジュンク堂。Tokyo Reading Pressをもらつたところで疲れ、帰途。

 電車内でお気に入りの読書系ブログを閲覧してハツ! とした。明治大学で佐藤亜紀の公開講座があつたではないか。佐藤は素晴らしい作家。しかも新作「ミノタウロス」はウクライナを舞台にした話。ウクライナは友人もをり、親しみ深い土地。佐藤の講座のことはぼんやり知ってゐたのに。
 どつと疲れてしまつた。
(室長)いろいろと残念。
 携帯電話にてオークションサイトのウォッチリストにチェックをつけてをりましたところ、見覚えのない商品がリストに表示されてゐる。しかもそれらが自分の興味と相当に被るものであり、はて、夢のまにまにチェックをしてしまつたのかしらん、と思つてゐたのですが、なんのことはない、副長が以前別のIDでログインした状態のままリストをチェックしてゐたのでありました。
 こないだから沖積舎版『ドグラ・マグラ』(復刻)を読んでゐるもので、ついつい自分自身といふものを疑はしく感じられてゐたのです。
 ともあれオークションサイトでは人格を疑はれるような商品をチェックしてはゐなかつたので、副長から軽蔑をうけることもなからう。ほつとしました。精々カストリや仙花紙艶笑本程度です。「成海璃子写真集発売記念握手会整理券」などに入札してゐなくて良かつた。本当に。

 ところで握手会は10日の日曜日、ブックファースト渋谷店ださうです。




 ところでのところで、ブックファースト渋谷店は撤退するさうですね。残念です。





とこでのところでのところで、成海璃子握手会整理券は好評につき既に売り切れてゐるやうです。残念きはまりないです。
 成海璃子写真集 Natural Pure
成海璃子写真集 Natural Pure





(室長)朝香宮邸探訪
 また上京し、高円寺の西部古書会館へ。良いものが買へた。獅子文六、木々高太郎といつたあたり。
 久生十蘭が以前から好きなのですが、獅子と久生とは並列に語られることが多い。たしかに都会的で洒脱、洗練された文章でエンタテインメント性が高い。獅子が明治26年、久生が明治35年の生まれと、10年近い歳の差があるが、久生がパリに滞在している昭和4-8年に、獅子もパリをおとずれてゐる。両者とも文学座の中心的人物であつた。
 パリでの久生の足跡、著作権管理者の方が熱心に追つてらつしゃるやうだ。いつも更新を愉しみにしてゐる。
 (久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会)
 http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/archives/29266550.html
 ところで村上春樹や高橋源一郎、村上龍に津原泰水といつたこの系譜にある「凄い」作家たちがみな、港湾沿いの生い立ちであることは興味深いです。あ、古川日出男は椎茸農家の生まれだけれど。
 その後マンションの一室で営業しておられる古本屋(新刊も扱ふ)を見学した。武井武雄画集があったので(個人的に)欲しかつたが、トテモ手がでない。澁澤龍彦幼少のみぎり、武井の絵がずいぶんお気に入りだつたらしい。せんじつの埼玉県立現代美術館での幻想美術館展で知つた。
 
 月曜、目黒の庭園美術館へ。朝香宮邸を活用した美術館は、建物自体がアール・デコ建築の代表とされてゐる。玄関からラリックの手になる少女たちがお出迎へ。

 展覧会のチラシに使われてゐる少女は、18歳当時の入江たか子嬢。かわいらしい!

 探偵小説ファンには入江は落ち目になつてからのほうがよく知られていると思ふ。わたしもさうでした。何か猛烈に後悔しなくてはならん気がしてくるな。この絵の優美な手つきは下絵ではスカーフを手にしていたらしい。仏様の手のやう。
 鏑木清方、橋口五葉といつた泉鏡花の初版本を飾つた絵師たちのオリジナルも展示されてをり、鼻息が荒くなりました。
 銀座の画廊で季節感のある版画の購入を検討してから帰つた。