(室長)乙女の力
2007.06.27 Wednesday
写真は土曜に行つた弥生美術館で買い求めたポスター。蕗谷虹児展開催中につき、中原の業績は「蕗谷虹児と同世代の作家」としてわずかに紹介されてゐるに過ぎませんが、虹児に宛てた淳一自筆の手紙が展示されてをりました。「ひまわり」誌の展示を前に、息子・娘とおぼしきお連れの方々に夢みるやうに同誌の思い出を語る婦人がをられました。
さて、以前ひめゆりの塔に行つたことがある。このはなしは別のところでも書いたことがあるのですが、再度書きます。ひめゆり学徒たちがガマの中に残したものが展示されてゐるのですが、その中に淳一の少女画が描かれたカードがあるのです。やや過剰に荘重さを演出せんとする記念館には圧倒されるばかりだつたのですが、この淳一のカードをみたときは深く深く感動しました。暗い洞窟の中、おそらくその絵を見ることはかなわなかつたでせうが、そのカードを携へてゐると云ふことがどれだけ彼女を慰め、励ましたでせう。
そして数年後、室長が広島に住んでゐたころ、原爆乙女の方と話をする機会が与へられました。繰り返し語られたであらう爆風や轟音、その後の避難生活などはもはや彼女にとつて物語と化してをり、生々しさが失われてゐるやうに思われました。話が終わり、何かご質問は? と促されたわたしは無礼にもそれまでの話と異なる「さういえばひめゆり記念館で中原淳一をみました。何か心の慰めになつたものはありますか?」と伺ってみたのです。
その瞬間、老婦人の顔がかがやき、「まあ、まあ、中原淳一さん、本当に素敵だった!」と応えてくだすつたのです。それまでの「物語」を語る姿と異なり、活き活きとした様子で、復興後、洋服を手に入れるに苦労された話や、美味しいものを食べたお店の話などを聞かせてくれたのです。
戦中戦後、「それいゆ」がどれだけの少女たちの心を励ましたことでせう。戦後日本を支えた中原淳一、どれだけ尊敬しても足りません。
さて、以前ひめゆりの塔に行つたことがある。このはなしは別のところでも書いたことがあるのですが、再度書きます。ひめゆり学徒たちがガマの中に残したものが展示されてゐるのですが、その中に淳一の少女画が描かれたカードがあるのです。やや過剰に荘重さを演出せんとする記念館には圧倒されるばかりだつたのですが、この淳一のカードをみたときは深く深く感動しました。暗い洞窟の中、おそらくその絵を見ることはかなわなかつたでせうが、そのカードを携へてゐると云ふことがどれだけ彼女を慰め、励ましたでせう。
そして数年後、室長が広島に住んでゐたころ、原爆乙女の方と話をする機会が与へられました。繰り返し語られたであらう爆風や轟音、その後の避難生活などはもはや彼女にとつて物語と化してをり、生々しさが失われてゐるやうに思われました。話が終わり、何かご質問は? と促されたわたしは無礼にもそれまでの話と異なる「さういえばひめゆり記念館で中原淳一をみました。何か心の慰めになつたものはありますか?」と伺ってみたのです。
その瞬間、老婦人の顔がかがやき、「まあ、まあ、中原淳一さん、本当に素敵だった!」と応えてくだすつたのです。それまでの「物語」を語る姿と異なり、活き活きとした様子で、復興後、洋服を手に入れるに苦労された話や、美味しいものを食べたお店の話などを聞かせてくれたのです。
戦中戦後、「それいゆ」がどれだけの少女たちの心を励ましたことでせう。戦後日本を支えた中原淳一、どれだけ尊敬しても足りません。