寮美千子・山本じん『絵本古事記 よみがえり イザナギとイザナミ』山本じんによるアプローチ
2016.01.30 Saturday
寮美千子・山本じん『絵本古事記 よみがえり イザナギとイザナミ』刊行記念山本じん個展は無事に終了いたしました。おかげさまで大変ご高評を賜りました。ありがとうございます。成約していない原画作品は引き続きアラビクと乙女屋でお客様に紹介しておりますので、お問い合わせくださいませ。
さて、今回の「絵本古事記」にはユニークな要素がいくつもあります。いくつかに分けて紹介していこうと思います。
・珍しい古事記のビジュアライズ
・ぎりぎりまで削がれた寮美千子の文章
・銀筆という幻のような技法で描かれた絵画
……など、多くの魅力に溢れた絵本です。
今回はどのように山本じんが古事記に挑んだのか、その一端を紹介します。
古事記のビジュアライズは意外に多くないように思います。「絵本古事記」の表紙画を見てみましょう。表紙画のイザナギとイザナミの純粋な気配が目を引きます。淡路島など、古事記ゆかりの土地に置かれた銅像や絵画だと、「神さま」ということを意識してか、たっぷりとした肉付きのふたりが長いシャベルのような矛を持った姿であらわされていますが、イザナギとイザナミはうまれたばかりの神さまで、これから数多くの土地や神を生みだしていくのですから、若々しい姿で描かれなければなりません。
◆「天沼矛」
イザナギとイザナミが手にしているのは「天之沼矛」。「沼=ぬ」は小さな玉のことだそうです。小さな玉のついた矛……山本じんは常人には想像しえないような沼矛を示してくれました。
◆「燭火入見之時」
国を産み、数多くの神を産むイザナミですが、火の神カグヅチを産み落とすとその火が燃え移り、死んでしまいます。イザナギは恋しさのあまり、黄泉の世界に赴き、イザナミを探します。寮美千子のテキストを引用します。
山本じんは気配を描いている。闇のなかに灯った火の眩しさ。その奥に横たわる黒々とした予感。
銀筆については、以前は海外のサイトしか参考になる情報がなかったのですが、最近になって日本語版のwikipediaに独立した項目ができました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E7%AD%86
鉛筆の登場以前に描画に使われた金属のうち、もっともよくつかわれたものが銀筆。鉛も使われたようですが、現在の鉛筆の芯は鉛ではなく「黒鉛」。化学式は「C」。つまり炭素です。
金属なので当然硬い。普通の紙に書くことは難しく、ある程度柔軟性のある下地が必要です。17世紀以前は漆喰のようなものや羊皮紙などに描かれてきました。銀による線は数百年の時を超えて残っていますが、それ以外の下地は剥落したものが多いようです。人形作家としても名高い山本じんは、人形の肌としても用いられる胡粉を練ったものを下地として使用しています。
◆「莫視我(我ヲ視ル莫レ)」部分
これは接写で拡大撮影した、1センチ四方に満たない渦巻の部分。寮美千子はこう書いていました。
アラビクでご覧いただける山本じんの銀筆作品は2000年頃のものがあります。描かれたときにはグレーに見える銀がおちつき、線がセピア色の硫化銀へと変化しているのがわかります。
◆「予母都志許売」(黄泉醜女)……イザナギの髪を結っている紐は、葡萄の蔓だという。これをとって投げることで、黄泉の国に葡萄が実る。ヨモツシコメたちはがつがつとその葡萄を貪る。緊張感とユーモラスさを併せもったシコメたち。山本じんに訊ねたところ、これは暗黒舞踏のイメージなのだと明かしてくれました。
古代からの物語は、個々の人生や、共同体のありかた、自然の不思議さなど、様々な要素の集合体と言えるでしょう。それを表現するには、作家も人生の総てを動員して立ち向かうことになります。一つ一つの絵に様々なチャレンジがあること、作家がこめたアイデアを読み解くことは絵画鑑賞の大きな楽しみですね。
(続く)
さて、今回の「絵本古事記」にはユニークな要素がいくつもあります。いくつかに分けて紹介していこうと思います。
・珍しい古事記のビジュアライズ
・ぎりぎりまで削がれた寮美千子の文章
・銀筆という幻のような技法で描かれた絵画
……など、多くの魅力に溢れた絵本です。
今回はどのように山本じんが古事記に挑んだのか、その一端を紹介します。
古事記のビジュアライズは意外に多くないように思います。「絵本古事記」の表紙画を見てみましょう。表紙画のイザナギとイザナミの純粋な気配が目を引きます。淡路島など、古事記ゆかりの土地に置かれた銅像や絵画だと、「神さま」ということを意識してか、たっぷりとした肉付きのふたりが長いシャベルのような矛を持った姿であらわされていますが、イザナギとイザナミはうまれたばかりの神さまで、これから数多くの土地や神を生みだしていくのですから、若々しい姿で描かれなければなりません。
◆「天沼矛」
イザナギとイザナミが手にしているのは「天之沼矛」。「沼=ぬ」は小さな玉のことだそうです。小さな玉のついた矛……山本じんは常人には想像しえないような沼矛を示してくれました。
◆「燭火入見之時」
国を産み、数多くの神を産むイザナミですが、火の神カグヅチを産み落とすとその火が燃え移り、死んでしまいます。イザナギは恋しさのあまり、黄泉の世界に赴き、イザナミを探します。寮美千子のテキストを引用します。
イザナギは、約束を守り、長いこと待ちつづけました。しんとして、物音ひとつしません。「イザナミ、イザナミ」と小声で呼んでみましたが、返事がありません。イザナギはとうとう、櫛の歯を一本折ると、火を灯し、そっと、のぞいてみたのです。
山本じんは気配を描いている。闇のなかに灯った火の眩しさ。その奥に横たわる黒々とした予感。
銀筆については、以前は海外のサイトしか参考になる情報がなかったのですが、最近になって日本語版のwikipediaに独立した項目ができました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E7%AD%86
鉛筆の登場以前に描画に使われた金属のうち、もっともよくつかわれたものが銀筆。鉛も使われたようですが、現在の鉛筆の芯は鉛ではなく「黒鉛」。化学式は「C」。つまり炭素です。
金属なので当然硬い。普通の紙に書くことは難しく、ある程度柔軟性のある下地が必要です。17世紀以前は漆喰のようなものや羊皮紙などに描かれてきました。銀による線は数百年の時を超えて残っていますが、それ以外の下地は剥落したものが多いようです。人形作家としても名高い山本じんは、人形の肌としても用いられる胡粉を練ったものを下地として使用しています。
◆「莫視我(我ヲ視ル莫レ)」部分
これは接写で拡大撮影した、1センチ四方に満たない渦巻の部分。寮美千子はこう書いていました。
接写をするという野暮をお許しいただきたい。胡粉の下地に銀筆による掻き傷、描線、白と黄色の絵具が観察できます。黒を強く出したいときは、硫黄の粉末等で化学変化をおこすのだそうです。愛しいイザナミの体には、うじ虫がたかり、はいまわり、頭には大雷、胸には火雷、お腹には黒雷、股には析雷、左手に若雷、右手に土雷、左足に鳴雷、右足に伏雷、あわせて八くさの雷が、蛇のようにとぐろを巻き、のたくり、うごめいているのでした。
アラビクでご覧いただける山本じんの銀筆作品は2000年頃のものがあります。描かれたときにはグレーに見える銀がおちつき、線がセピア色の硫化銀へと変化しているのがわかります。
◆「予母都志許売」(黄泉醜女)……イザナギの髪を結っている紐は、葡萄の蔓だという。これをとって投げることで、黄泉の国に葡萄が実る。ヨモツシコメたちはがつがつとその葡萄を貪る。緊張感とユーモラスさを併せもったシコメたち。山本じんに訊ねたところ、これは暗黒舞踏のイメージなのだと明かしてくれました。
古代からの物語は、個々の人生や、共同体のありかた、自然の不思議さなど、様々な要素の集合体と言えるでしょう。それを表現するには、作家も人生の総てを動員して立ち向かうことになります。一つ一つの絵に様々なチャレンジがあること、作家がこめたアイデアを読み解くことは絵画鑑賞の大きな楽しみですね。
(続く)