レビューサイトに関しては国内外を問わず、放っておくというスタンスである。批判的なレビューや、善意であっても的を射ていないレビューに反論することには、とても大きなストレスがかかる。12年前、開店したころはその書き込みに一喜一憂していたが、今は目の前にお客様がいらっしゃるので、気にしない。そもそも今は目にする時間そのものがない。
以下はあとで英語に訳して再投稿する。
しかし海外の一部のレビューサイトで、わたしが差別的であると書かれることがあり、困惑している。いまわたしは「わたし」と書いた。毎日多くのお客様が来店されるが、スタッフのうち、毎日働いているのはオーナーのわたしだけで、あとはふたりのパートタイマーである。
したがってすべての批判の対象はわたしだと考えられる。
わたしの店はとても小さく、席数も多くない。だから5組程度のお客様が入ると、もう満席だ。3人以上のお客さまは断ることが多い。また、席が空いていても、一人で仕事をしているときは珈琲を淹れられなくなるので、断ることがある。キッチンで珈琲を淹れながら、入り口に向かって大きな声で「入店できません」と言うのはとても乱暴に聞こえると思う。しかし他に方法はない。それはわたしが日本語を使っているときでも同じだ。
また、少ない人数で店を開けていると、新規のお客様に珈琲をだすために20分以上かかることもある。そういうときは丁寧に珈琲を淹れられないので、入店を断ることもある。
また、一部のお客さまは閉店している午前中などでも扉を開けて入ってくることがある。たとえ相手が女性でも、それは恐怖以外の何物でもない。そんなときは大きな声で出ていってください、ということもある。
わたしは世界中の作家の小説を読んでいる。そしてギャラリーでは韓国、ロシア、ウクライナをはじめとした世界中のアーティストの作品を販売している。文学やアートは多様性を大切にしている。人種や宗教、セクシャリティに関して、わたしも当事者だから、お互いに尊重しあいたい。
わたしのツイッターは日本語でしか書いていないが、プロモーションと、友人との交流、文学やアートへの批評、あまり上手ではないジョーク、そして歴史修正主義的な政治家や作家に対する批判がほとんどだ。
だから差別主義者であると言われるのは不本意だ。
ただし、権利を守るためには相手が誰であろうと強く注意することもある。たとえばほかのお客様が映り込みそうな写真、アートワークスを撮ろうとしている場合。
それと、中崎町という小さな町は住宅街てあって観光地ではないのだから、住民のプライバシーが守られないような行動や、誰かの敷地に立って記念写真を撮ろうとする人には大きな声を出すこともある。そしてわたしに最も多く注意されるのは、日本人だ。
先ほど書いたように、2人以下のスタッフで毎日多くのお客様の対応をする。だから細やかな「おもてなし」はできないこともある。
しかしわたしは、すべての差別に反対である。間違いなく。